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家庭での酒容器

1997年9月


酒の容器というと、大きいものでは昔から使われていた木桶や壺があり、小さくは酒樽や瓶などもある。酒を入れる容器として、昔から私達に一番なじみが深いものに「徳利」がある。一般に、容器として家庭や業務用などで、酒宴の酒の入れ物という事になると、徳利にかなうものはない。

近頃は300ml程度の小瓶は、買った時の瓶をそのまま食卓や酒席に出して食卓を演出できるものが多いので、徳利を持たない家庭も増えてきたようだ。

お酒の移動には、メーカーから小売業者までは、戦前は樽が用いられることがほとんどであり、そこから小さい桶や徳利に移されて、飲食店や家庭で供される。それも単に酒をついだり飲んだりする目的だけのものでなく、器として酒の味わいをそそる重要な役目をになっている。

貯蔵容器としては、平安朝時代頃からは、宮中の造酒司(みきのつかさ)は、醸造された酒を大カメに入れた。そのカメは「とじ」、「とうじ」とも呼ばれ、神として祭られた様である。後に酒造りの長が杜氏(とうじ)と呼ばれるのはここに由来する。民間では酒造りや酒の管理は一家の主婦や老婆が行っていた。母の事を刀自(とじ)と呼ぶのはここから来ている。

鎌倉時代からは壺も使われた。室町以後は木桶が使われ、数十年前から鉄製の琺瑯引きタンクという様に変わって来た。

桶や樽が運搬に使われるようになったのは、室町時代以後の事である。当時桶材には柳が用いられたとの事だ。柳は水分を含むとふやけて水漏れがしないところから使われた。結婚の結納目録に「家内喜多留(やなぎだる)」と書かれる品があるが、柳の樽に酒を入れてご祝儀として持参した所から始まったのだ。その後香りの良い杉桶が使われるようになった。杉の香りが酒にマッチするために好まれたのだが、これは、江戸時代になってからである。

徳利は、徳裏、登具利とも書かれ、室町時代から用いられていたが、江戸時代に酒が普及する様になってから一般に用いられる様になった。この徳利は陶磁器製で、様々な大きさのものがある。一升瓶が普及する前、戦前までは、小売店へその徳利を下げてお酒を買いに行ったものである。その徳利を「貧乏徳利」と呼ぶ。これはあまり良い呼び方ではない。歌舞伎の忠臣蔵の、「赤垣源蔵の別れ」の場面で徳利が使用されたことから「源蔵徳利」と呼ばれる様にもなったことは、以前の御園竹便りに書いた。

食卓で使用する大きさの徳利の種類は非常に多い。古くは、祥瑞(しょんずい)や古九谷、古備前等の高級品、美術品から、民芸品、家庭雑器に至るまできりがない。案外自分のまわりの身近な所に美術品とも言える様なものもあるので、それとなく注意して見られるのも酒を飲む楽しみの一つとなろう。

名入れの徳利にも美術的価値の高いものもある。当社でも明治以来、ほとんど毎年贈答用や宣伝用のものを作り、小売店の方や一般の方に盆暮れなどに進呈した。その徳利の種類も数も多かった。

そういう徳利も、全部手元に残して有れば良いのだが、消耗品としていつの間にか散逸してしまって、手元にあるのは二十数種類位となってしまった。お手許にあったり、また見かけた場合には、是非お譲りいただきたい。当社の展示場に並べられたらと思う。

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