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酒道(しゅどう)

1998年11月


 

お茶を好む人達の間には、千利休が始めた茶道というものがある。また、生け花を活ける人の間に華道がある。どちらも若い女性が一度は必ず習わなければならぬ行儀作法の様に思われている。

それでは昔は男が必ず身につけなければいけなかった酒に、酒道というものがあっても良いではないかという疑問が出てくる。そんな疑問から、少し調べてみた。酒道という言葉は、やはり存在していた。それは酒をたしなむためのルールで、江戸時代にはきちんと決められていたと言うことである。

酒もルールを守って呑むと、身体にとっては良いことであり、他人にも迷惑をかける事なく、おいしく酒で楽しむことができるのである。江戸時代には、それが酒道という形でルールとなり、明治の中頃まで市民全体の間できちんと守られていた様である。

酒席で盃のやりとりをすることがある。現在、それを好まない人達、特に若い人達、が多くなってきている様である。それは、つい最近までのように、小さい盃に酒を薦め、そして「お流れ頂戴」といってその盃で酒を呑むという風習である。

しかし、明治中頃以前には、その様な形での酒のやりとりは無かったらしい。その代わりに存在したのが「廻り盃(めぐりさかずき)」というルールである。滝廉太郎の詩「荒城の月」の始めの部分

「春高楼の花の宴 廻る盃影さして」

は皆様良くご存じであろう。

そのやり方は次の如くであったらしい。主人が上座に座り、その下に客達が二列に向かい合い、それぞれの前にはお膳が置かれる。まずは盃に酒が注がれる。盃と言っても、今使われているような小さな個人専用のお猪口ではない。もっとずっと大きな盃を使った。婚礼などの大人数の席で使われる大きな朱塗りの盃は、直径三〇センチ近くのものまであった。

先ず主人が口をつけた後、右手の客に廻す。その客は自分も口を付けて向かいの客へ、次の客は向かいの隣の客へ、と上座から下座へと盃を廻して呑んでいくのだ。なお、大きな盃は当社の展示室においてあるので、ご興味がある人は見て欲しい。

「廻り盃」の儀式が終わると酒宴の本番に入る。酒宴に入ると、まず、主人は客一人一人の盃(今度は小さな個人用の盃)に酒を注ぎその飲み干した盃を受け、今度は自分がそれを飲み干す。大勢の客の全員にそれを行うのだから、主人は大変だ。だから代理を務める役目の人まであったらしい。その間に肴舞が入り、歌や踊りが入り酒の座を楽しくする。その後は客同士が互いに酒を飲み干しながら酒宴が進んでいく。

こういった儀式に由来する「お流れ頂戴」「献杯」「返盃」という言葉が近頃はあまり聞かれなくなったのは残念である。もっともビールでそれをしたら大変であろう。

コミュニケーションを円滑にする手段として、酒を楽しく呑むには、こうしたルールが見直される必要もあるであろう。「酒道」の復活も良いのではないだろうか。「酒道」では、酒席の礼儀作法をお酌の仕方まで決めてある。これは茶道や華道に通じたものがある。これが現代まで残っていたらと残念に思うのは、日本酒を愛する人達には同意していただけると思う。

 

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