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ひねり餅

1997年12月


酒造業者の冬の朝は早かった。杜氏達は酒蔵に住み込んで一日を過ごすのがかつてからの慣わしである。そして朝の一番始めの仕事が蒸きょう(じょうきょう)である。この言葉を始めて眼にする方も多いのではないだろうか。NHKの朝の連続ドラマ「甘辛しゃん」にもこの言葉はまだ出てきていない。酒造りの専門用語で米を蒸すことである。

酒造メーカーには昔から直径一メートル半以上もする大きい鉄の釜(六尺釜)がある。ボイラーの様な蒸気発生器の無い時代にはこの六尺釜に水をはり、それをぐらぐらにわかして蒸気を発生させたのだ。その上に大きな木桶で中央に十センチ以上の穴を開けたもの、「甑(こしき)」を置き、これで米を蒸かしていた。

毎朝仕込む酒米は、前の日の午後に徹底的に米磨き(こめとぎ)をする。磨き水は少しの白さも残らない。そうして磨いだ米はそのまま水を張って十分に水を吸わせるのである。各家庭で赤飯などを作るとき、米を洗って水に浸して置くことを想像してもらいたい。十分に吸水した米を翌朝蒸かすのである。その蒸かしは赤飯のように蒸籠で一度に蒸かすのとは少し違っている。

水を十分に吸った米を一度に甑に入れて蒸かしたのでは、下の方はべとついてしまう。米を一様に蒸かすために、甑の底面に開いた穴の上に、蒸気を四方へ散らすための「コマ」というものを置く。その上に吸水した米を五升位ずつ均一に置いていく。置かれた米に蒸気が通り、白い米が透明になった所を見計らって次の米を置いていくのである。蒸気の熱は厳寒の朝の寒気を吹き飛ばす。その熱さのため、甑の係は半裸体での作業であった。

良い酒を造るためには、蒸米は毎日同じ仕上がりでなければならないが、米の産地やその日の気温等によって米の蒸し上がり方は微妙に相違がある。最上の蒸し上がりになったときに蒸きょうをストップして仕込みにかからなければならない。米の蒸し上がりはどうやって判断していたのであろうか。現在の様な高度な測定技術や機械などの無い時代には、次の様に判断した。

茶碗に二杯位の蒸米を甑から取る。火傷をするほど熱い蒸米を板の上に乗せて、掌で渾身の力で揉み上げ、直径十二センチ位で一センチ位の厚さの餅の様にするのである。これを通常「ひねり餅」と呼んでいる。蒸米が硬くても柔らかすぎても程良い餅にはならない。このひねり餅を杜氏が見て蒸きょうをストップする時期を決めたのである。この事を昔から「ケンジョウ」と呼んでいる。蒸し具合を検査する「検蒸」という意味らしい。

今は、ボイラーの蒸気を更に加熱した乾燥蒸気を使い、蒸米の状態を見て蒸気の圧力を加減しながら米を蒸かすので毎日ひねり餅を作る必要は無くなった。しかし、その年の最初の蒸きょう(初甑…はつごしき)のときや、造りの節目にはひねり餅を作る。

このひねり餅は、以前は夏まで大事にしまって置き、水に浸して柔らかくしてから焼いて食べた。香ばしくておいしいもので、食べ物の少ない頃のちょっとした楽しみであった。今はというと、杜氏からひねり餅を受け取ると、たいていはその日の内に焼いて食べてしまう。普通の餅と違って「うるち米」の餅であるため、歯ごたえがあって大変においしい。これも酒造業者の特権であろう。

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