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吟醸酒

1997年3月


近頃、吟醸酒という名も一般的になってきて、色々な蔵元の吟醸酒を口にする機会も増えてきた。しかし、吟醸とは何か、と聞かれても簡単に説明出来るものではない。昭和五十年の全国酒造組合の申し合わせや平成元年の国税庁の公示などで「純米醸造または本醸造で、精米歩合が六割以下(四割以上削り取る)の高精白米を使用し、全工程を低温で行う」という基準が決まった。

今ではこの基準を満たした酒は全て「吟醸酒」と名乗って良いことになったので、時には吟醸酒は名ばかりのものがあるが、もともとは吟醸酒は大量に市販されることを目的として造られたものではない。そもそもは明治の終わり頃から、酒造技術を錬磨し、日本酒の品質を向上させる事を目的に造られていた酒である。大蔵省の醸造試験場で行われた全国の品種品評会に出品するために、少量だけ特別に吟味して造られたものであった。米を六割以下にも精米する等、採算を度外視しなければならず、そのために吟醸酒は「酒の芸術品」ともいわれていた。

玄米から粉糠や粕となる部分を除いた酒になる部分は、普通酒では約五十%であるが、吟醸酒では十五%位しか酒にならない。しかも、米を白くつくためにも特別の技術が必要とされた。今でこそ精米機の発達により高度の精白も技術的に容易になったが、昔は精米技術者の高度な熟練を必要とした。しかも時には丸一昼夜以上の長時間連続精米を必要とする。

精米だけではなく、旨い吟醸酒を造るには、米の選び方、搗き方から始まって大変な苦労があるのである。いくら技術のノウハウを知ったからとて、原料の米は毎年出来具合が違う。その米によって蒸し具合も違うし、麹の仕上がりも違う。その条件が少しでも変われば、それに応じた細かい工夫をしなければならない。実際吟醸酒の麹造りなどは一晩中不眠不休という状態である。また高精白になればなる程、白米の水への浸し時間もデリケートになって来る。効率から考えるととても割が合わない。

なぜそれだけの犠牲を払ってまでも、良い吟醸酒を造るのに腐心してきたかというと、品評会で高い評価を受けると、その杜氏と会社は、どんなタイプの酒でも造れるという技術力の証明となるからである。そしてそれを市販する酒に反映するからこそ、品評会で高い評価を受ける意義があるのである。御園竹は昔から、その様に考えて、吟醸酒と取り組んできた。それが事務所の前に掲げられている百数十枚の、明治、大正、昭和、平成の各時代の各種品評会の表彰状となって残されているのである。勿論、賞を取るためだけでなく、普通酒にもその技術を反映してきたのはいうまでもないし、今後もそのつもりである。

昔は品評会用の酒であり、市販されることがなかった吟醸酒も、今では市販され、だれでもが楽しむことができるようになった。品評会では、香、色、艶、そして味を、きき酒によって審査し、優劣を判定するのであるが、市販酒ではさらに実際に飲んだ時の喉越しの旨さも重要となる。この全てを兼ね揃えたものが本物の吟醸酒と言えるのであろう。

三月に入るといよいよ吟醸酒をしぼり始める。今年もしぼりたての吟醸の生酒を発売する予定である。大変な苦労と高度技術があってこそ出来た本物の御園竹の吟醸酒を、どうか飲んで旨いかどうか判断して欲しい。

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