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火入れ(ひいれ)

1995年6月


「どうころばし」が終わり、その年の全部の造りがすみ「皆造」になったといって、杜氏や蔵の人はそれで安堵できるわけではない。出来上がった酒の中には、まだ酒の製造の主役を務めた酵素が生きている。この酵素は温度に敏感で、温度が少し上がると、酒の諸々の成分に働きかけて、製品の品質を徐々に変化させて行く。

当社の先祖達は温度の上昇を防ぐためにすごく厚い壁の酒蔵を作った。それでも、温度に敏感な酵素類により酒の中の種々の成分がその影響でどんどん変化する。また種々の菌類も繁殖する。出来上がった酒をそのまま保存する、すなわち「生」で貯蔵するには、0℃程度にしなければならないのだ。

酒を普通の酒蔵で安全に貯蔵するためには、出来た酒の中の各種の菌類を殺し、酵素類の活性を押さえなければならない。それには、清酒の温度を、酵母や各種の菌類を殺してしまう温度にまであげて、一定時間その温度を保つ事が必要なのである。その事を「火入れ(ひいれ)」と昔から言っていた。

世界どこでも出来た酒が貯蔵中に変化することは大きい問題であった。しかもその変化は大抵の場合悪い方に変わるのである。

日本酒も木の桶を使っていた時代は、その手入れが悪く、高温での殺菌も行き届かずに、折角苦労して出来上がった酒の中に空中の乳酸菌が入り、繁殖して酸っぱくなったり、また「火落ち菌」という菌が繁殖して白く濁った事があった。それらは酒が腐ると言われた。かつて造り酒屋は危険な商売と思われ、現実に倒産も多く起きたのは、杜撰な経営ばかりでなく、こういった現実が根底にあったと思われる。日本ばかりでなく葡萄酒や麦酒のフランス、ドイツ始め、どこの国でも同様であった。

しかし、日本は昔からそれを克服する技術を持っていた。それが「火入れ」という技術であった。現在の技術用語では「低温殺菌」と言う。出来上がった酒を、アルコールをとばさせず、味を変えず、また容器などの影響を受けずに雑菌を殺し、酵母の働きを停める温度設定と温度制御が火入れなのである。昔から日本で引き継がれてきたこの技術は、世界に誇れる大変な技術なのである。

先進国であって、技術の師と思われている欧米でそれが克服されたのは近々百年前にすぎない。葡萄酒の腐敗が加熱することにより防止できる事を発見したのは、フランスのルイ・パスツール(1822〜1895)という科学者であって、近々百年前の事だ。ヨーロッパでは、火入れのことをPasteurization(パスツールゼーション)と呼んでいる。

寒造りの酒は気温の高くなる夏に入る前、酒が適度に熟してきた四月半ば頃までに火入れをしてから貯蔵する。当社でも、四月始めに全部の酒の火入れがすんで、長い冬の仕事をすませた杜氏達は帰郷した。あとはその酒を大事に貯蔵して消費者の口へ、自慢できる御園竹として出荷するまでだ。

火入れには、この本火入れの他に、瓶詰めの際にも空中の雑菌が入らないようにもう一度火入れをする。その火入れは瓶火入れ(詰口火入れ…つめくちひいれ)と呼ばれるのである。この話しは別の機会にしよう。

 

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