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登録有形文化財

名称及び所在地

武重本家酒造及び武重家住宅(登録物件数 30件) 長野県北佐久郡望月町大字茂田井字東町2179番地、他


物件の特徴等

武重家は中山道の望月宿と芦田宿の間の宿にあたる茂田井にある。敷地内に祀る屋敷神は元禄年間に鎌倉の八幡宮より分祀したと伝えられ.江戸前期以来の旧家である。明治元年より酒造業を創業し、明治後期から大正期にかけて住宅から酒造関係の各施設を整備し、ほぼ現在の屋敷景観が構成された。

屋敷地は旧中山道の北側に構え、前半を住宅施設で占め、後半には醸造関係施設が建ち並んでいる。

中山道に面して建つ東蔵・西蔵や門長屋などが江戸後期の建築、門長屋と中庭を挟んで北に建つ主屋は明治42年の建築と伝えられ、越屋根付の切妻造・総2階建住宅である。

西に接続する奥座敷は江戸後期のものであるが、文庫蔵や味噌蔵は主屋と一連の構成要素である。醸造関係の施設は創業時のものと考えられる一号蔵を始め、明治後期からの大正期の蔵や施設が建ち並び、造り酒屋としての発展をよく物語っている。

このほか,もと酒樽の製作場であった旧細工小屋、原料の貯蔵施設であった細長い建物の前穀ビツや後穀ビツ、酒樽用材の乾燥施設であった長大な切妻造建物の枯倉、中山道を挟んだ屋敷南側には米蔵や旧精米所など,特徴ある酒造施設がよく残っている。


配置図

[1]から[30]までの数字は、下記の物件目録の番号に対応しております。なお、プライバシーの保護及び防犯上の理由から、配置図は簡略化してあります。


登録物件地図

物件目録

名称 構造、形式及び大きさ 所有者による補足
建設年代
登録基準
1 主屋 木造2階建、瓦葺 主屋は、明治42年に新築された。棟梁名は不詳であるが、宮大工の流れを汲むものと推測される。
明治42年
二、造型の規範となっているもの
2 奥座敷 木造平屋建、瓦葺 江戸時代のものと思われる。現在の当主の結婚披露宴はここで一週間にわたり行われた。大事なお客様に泊まっていただくべき部屋であるが、京間造りで天井が高く、冬は寒いので、最近ではここにお泊めするのは反って失礼か、とも考えてしまう。
江戸後期
二、造型の規範となっているもの
3 文庫蔵 土蔵造2階建、瓦葺 昔(昭和中期頃)までの商売上などの文書や古文書類を収めた蔵。昭和60年代に泥棒に入られて、いわゆるお宝は全て盗まれてしまった。泥棒はつかまったけれど、盗まれたものは返ってはこなかった。
明治45年
二、造型の規範となっているもの
4 味噌蔵 土蔵造2階建、瓦葺 味噌や漬物を仕込む蔵。普段は「味噌部屋」と呼んでいるが、土蔵造りなので文化財の名称ではちょっと格好良く「味噌蔵」としてもらった。「味噌部屋」は、この地方の古い家であればたいていあるのではないだろうか。北側で涼しい場所でそれぞれの家の味噌を仕込んだり、漬物を作っている。
明治45年頃
二、造型の規範となっているもの
5 東蔵 土蔵造2階建、瓦葺 いわゆる土蔵。お宝というよりは、思いきりが悪くて捨てられないもの(「ごったく」と言う)がたくさん入っている。引き出物などでもらったポットとか、米袋とか、なぜか西洋の甲冑のレプリカとか...
江戸後期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
6 門長屋 木造平屋建、瓦葺 当社のイメージ写真に使われる門(長屋門)を含む建物。この門の大きさを超える物を敷地内に運び込むことが出来ないため、クレーン者や4トントラックが入ることが出来ず、非常に不便している。バチが当たりそうだが俗称「やっかい門」(現当主の失言)
江戸後期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
7 土蔵造2階建、瓦葺 中仙道の通りに面した建物。江戸時代のものらしいが、二階を一部壊したり、表側や内部を一部改造したりして使用している。昔はここで商品を売っていたために「店」と呼ばれるようになったものと思われる。
江戸後期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
8 西蔵 土蔵造平屋建、瓦葺 土蔵造りの一つの建物の中が三つの蔵に分かれている。布団部屋、書庫として使われている。蔵書は一万冊とも言われている(数えたことはない)が、買った本を捨てられないだけ、とも言える。書庫の中で一番希少価値がありそうなのは、創刊号からそろっているSFマガジン。
江戸後期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
9 中門 木造、間口2m 主屋と店を繋ぐ門。実際には中門と呼ばれている門は二つある(ややこしい)。詳しく言うと、こちらは奥座敷へ入る門で「本宅の中門」。もう一つは「通りの中門」。後者は、さてどこにあるでしょう。
明治42年
二、造型の規範となっているもの
10 井戸小屋 木造平屋建、鉄板葺 戦前まで仕込み水を汲み上げていた深井戸(水深25m)。現在は飲料水としてのみ使用。
昭和初期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
11 屋敷神 木造平屋建、銅板葺 社の年代は不詳。覆屋は昭和5年に、現在の当主の生誕を祝って建て替えられたらしい。
昭和5年
二、造型の規範となっているもの
12 屋敷神鳥居 石造、高さ2.3m 文政十年の建立
文政10年
二、造型の規範となっているもの
13 東塀 木造、瓦葺 漆喰がはげて来ているので、塗り替えなければならないが、費用を考えると悩むところである。
明治42年頃
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
14 離れ座敷 木造2階建、瓦葺 第13代当主一祐は身体が弱く、若い内に隠居した。その隠居のために造られた建物で、大正建築の趣が見られる。昭和15、16年に一祐とその妻が相次いで逝去した後は、ほとんど使われていない(物置として使われている)。内部の書斎には、現在でも「大正文学全集」などが並ぶ。
大正期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
15 茶室 木造平屋建、瓦葺 本式の茶室ではないが、様々な趣向を凝らして作られている。
大正期
三、再現することが容易でないもの
16 深井戸水槽 煉瓦造 深井戸の水はポンプでこの水槽に送られ、そこから屋敷中に配管されていた。
大正期
三、再現することが容易でないもの
17 離れ石垣塀 石造及び木造 石垣の一部は公道側から見ることができるが、見事なものである。一祐は石垣を組むのが道楽の一つであったらしい。
大正期
三、再現することが容易でないもの
18 一号蔵 土蔵造2階建、瓦葺 酒造りを始めたときの最初の蔵。以降、順次北側へと蔵が建て増しされていった。現在は瓶詰め工場と出荷倉庫として使用。
江戸末期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
19 二号蔵 土蔵造2階建、瓦葺 明治時代の建築。現在は一階は製品貯蔵庫(熟成庫)、二階は麹室(こうじむろ)として使用している。
明治中期
二、造型の規範となっているもの
20 三号蔵 土蔵造2階建、瓦葺 明治後期頃の建物と思われるが、わざわざボルトを使って柱や梁を組上げているのが特徴。新しい技術を取り入れようと思ったのだろうか。
明治後期
三、再現することが容易でないもの
21 四号蔵 土蔵造2階建、瓦葺 現在は仕込蔵として使用している。
大正6年
二、造型の規範となっているもの
22 五号蔵 土蔵造2階建、瓦葺 三号蔵と繋げて造ってある蔵(外側からは三号蔵と一体化している)。こちらはごく普通の日本建築のように見える(新奇の技術はつかわれていない)。
大正11年
二、造型の規範となっているもの
23 旧細工小屋 木造2階建、瓦葺 現在の枯倉を建てる前に枯倉兼作業場として使われていた建物。木製の仕込み桶を使わなくなった際に、これを分解した材料等が保管されている。
大正期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
24 前穀ビツ 木造平屋建、瓦葺 この地方では良く見られる貯蔵庫。現在は資材庫(「ごったく」置き場)として使用
明治後期
三、再現することが容易でないもの
25 後穀ビツ 木造平屋建、瓦葺 同上。最近開けて見たら、お酒を輸送する際に瓶の緩衝材として使った藁の「つと」が一杯詰まっていた。怖いので見なかったことにしている。
大正期
三、再現することが容易でないもの
26 枯倉 木造2階建、瓦葺 桶などに使用する材木を寝かせておく(枯らす)ための倉庫。現在でも大量の桶材が枯らしてある。桶職人の仕事場でもある。また、半分は昭和四十年代までは精米所として使用していた。
昭和初期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
27 炭小屋 木造2階建、瓦葺 明治の後期に主屋を建て替えた際、それまでの建物を移築して使用している。別名下井戸倉庫。
江戸/明治42年移築
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
28 南蔵 土蔵造2階建、瓦葺 昭和初期。実際には一つの土蔵を二つに仕切りそれぞれに入口がついているのでをれぞれを南蔵、北蔵と呼んでいる。南蔵には下屋がある(下屋と呼んでいるが実際は2階建ての別の建物)。米蔵として使われていたが、現在は共同精米により白米を使うだけ運搬してくるので使われなくなった。平成12年の「酒蔵開放」イベントでは、北蔵をギャラリーとして使った。何か良い活用方法はないだろうか。
昭和初期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
29 もみ蔵 土蔵造平屋建、瓦葺 種籾に使う米を保存しておくための蔵
昭和初期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの
30 旧精米所 木造2階建、瓦葺 昭和20年代ころまで使われていた精米所。
昭和初期
一、国土の歴史的景観に寄与しているもの

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What's New(最新情報) Last update 2000/09/27